「倒れても、倒れても、また立ち上がって勝負したい」
そう話すのは、2021シーズン奈良クラブへ入団することが決まった金成純選手だ。金選手は、2018年に朝鮮大学校サッカー部からFC琉球へ入団し、入団1年目でJ3優勝を経験。2年間FC琉球でプレーするものの、2019年を終えたところで契約満了を言い告げられた。その後次なるクラブでプレーする為、各クラブへの練習参加でアピールを試みるが、新型コロナウイルスが世界中を襲うことになる。その影響もあり、練習参加がままならぬまま2020シーズンは開幕し、金選手は昨年一年間、無所属としての活動を強いられることとなる。
金選手は、愛知朝鮮中高級学校を経て朝鮮大学校へ進学。2014年から各年代別の朝鮮民主主義人民共和国代表に選出され「AFC U-19選手権2014」「FIFA U-20ワールドカップ2015」「AFC U-23選手権2018」に国家代表として出場。在日同胞を代表するフットボーラーとしての道を着実に歩んでいた。
主戦場はMFの2列目。常に相手との中間ポジションを取り、巧みなターンで敵陣ゴールへ迫るのが特徴だ。ドリブル、パス、シュート、どれを取っても金選手の才能が非凡である事は誰が見ても理解できるだろう。
不甲斐無さだけが残った2年間
金選手は大学を卒業して間もなく、自身の理想と現実のギャップに立ち竦む。「大学時代からJ1でプレーしたいという気持ちがあった中で、J3という現実を突きつけられた。1年目から結果を残さなくてはいけないという気持ちがこみ上げてきたのを思い出します」
金選手が目論む先はまだまだ上の舞台であったが、理想通りに物事は進まない。
しかし、そこには定かな分析があった。「全てのプレーにおいて平均点を出すことは出来ると思うが、最後まで行き切る事が出来ない。最後の“際”の部分で逃げるのではなく、強引に完結させる力が僕には必要です。これからは、倒れてでも、失敗を恐れずに勝負を仕掛けたいです」
無所属で活動した“原点回帰”の1年間。
2020年、新型コロナウイルスが世界中を襲った。様々な社会活動に制限をかけられ、世の人々は身動きを取れなくなった。スポーツ選手に対しての影響も大きく、金選手もその内の1人であった。
「次のクラブを探せずにいて、そうしていくうちにシーズンが開幕してしまった。活躍する選手達を横目に、悔しく、心が折れそうにもなりました」
ピッチの上で自身のプレーを表現する。それがプロサッカー選手としての存在価値を発揮する場であり、一番の仕事だ。その表現活動を金選手は1年間もの間、制限されてしまった。金選手はどのような思いでこの苦境の1年間を過ごしたのだろうか。
「いつ練習参加の話が来るか分からない状況下で、どんな時でもベストパフォーマンスが発揮出来る準備をし続けました。春先は母校の朝鮮大学校で、夏には愛知朝鮮高級学校で練習させて頂き、自分の原点に立ち返ることが出来ましたし、いま振り返ると、本当に色んな方々に支えられて今があるなと実感しています」
無所属であった1年間は、金選手にとって気持ちが折れかけた悔しい1年間だったはずだ。
ただ、その代償としてそれ以上に大切な事に気付かせてくれた1年でもあった。その気付きとは自身が背負っている期待感の有難みだ。幼少期から在日同胞の期待に必死に答えて来たが、時にその期待が重荷となり、挫折も経験した。期待を背負う事が嫌になった時期があったとも話す。
しかし、今はそうは思わない。
「心が折れそうになる度に、元チームメイトや在日同胞選手の活躍を目に焼き付けて、自分を奮い立たせました。今はまたやってやろうという気持ちが強いし、モチベーションは高いです」
人間が挫折を通して意味のある気付きを獲得し成熟していく生き物だとするならば、金選手の可能性は計り知れない。
「これからが本当の勝負」強い覚悟の背景には。
奈良クラブはJFLに所属し、その経営方針や運営手法から多くの注目を浴びることが多いクラブだ。昨年まで在籍した金聖基選手や、金弘淵選手など朝鮮大学校の先輩達も歴代在籍したクラブでもある。ただ、金選手にとってはJFLは初めて体験するリーグでもあり「どういった雰囲気なのかまだイメージが沸かない」と話すように、蓋を開けてみないと何も分からないのが現状だ。
「初めてのカテゴリーだし、想像が付かない部分もあるけど、もうそんな事は言ってられない。これからがより勝負になってくると思います」"背水の陣"とまではいかないが、金選手の覚悟を強く感じる言葉だ。在日同胞からの多くの期待を背負ったサッカー少年は、これからどのような道程を歩んでいくのか。
「倒れてもまた立ち上がって勝負がしたい」その姿勢があるから、我々応援者は期待を寄せざるを得ないのだ。
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