2021年度ラグビートップリーグで見事『新人賞』を受賞した、クボタスピアーズ所属の金秀隆選手(キンスリュン/23歳)。
金選手が果たした『新人賞』の快挙は在日コリアンラグビー界にとってはもちろんのこと、在日コリアンスポーツ界にとっても勇気と希望を抱くニュースであった。
大阪朝鮮高級学校を卒業し朝鮮大学校に進学した金選手は、「必ずプロになる」という強い信念のもと、環境に揺るぐことなく自身の大好きなラグビーと4年間向き合い続けた。大学時代、「プロになれるか不安になる時もあった」と、不確かな未来に焦りを感じることもあったが、自身の強い信念に対し、背を向けることだけは絶対にしなかった。
経歴がすべてを物語る訳ではない。ただ、関東2部リーグを戦ってきた金選手と、各地のエリートたちが集ったクボタスピアーズ同期入団選手たちの経歴を比較したとき、「決して劣っていない」とは言えないような差があった。金選手自身も、「チーム内で浮いてしまうほど差は歴然としていた」と話すように、入団直後から厳しい現実と向き合う必要があったのだ。
しかし、何故ーー。金選手はそのような“逆境”を乗り越え、また、周囲の期待を“超越”することが出来たのだろうか。
今回のiudaでは『特別企画』と題し、新人賞を受賞したトップリーガー金選手にインタビューをさせて頂いた。金選手のこれまでの道のりや今後の夢について、伺おうと思う。
きっとそこには、在日コリアンサッカー界やスポーツ界の強化繁栄、「スポーツが持つ価値」についてのヒントが含まれているはずだ。
ぜひ最後まで読んで頂きたい。
「確固たる伝統=大阪朝鮮高級学校ラグビー部」で培ったラグビーの基礎
兄の影響でラグビーを始めた金選手は東大阪朝鮮中級学校を卒業後、大阪朝鮮高級学校ラグビー部へ入部。
同校が2020-2021の全国高等学校ラグビーフットボール大会(以下:花園)で10大会ぶりの全国ベスト4を叩き出したのは記憶に新しいが、金選手が花園に対し憧れを抱いたのは中学の頃だった。
「中学時代はあまり特別な選手ではなく、ギリギリでレギュラーを張れるかどうかくらいの位置にいました。ただ、ラグビーが本当に好きで上手くなりたくて仕方なかったですね。見て学んでプレーして。それを繰り返していました」
そして、おのずと視線の先は大阪朝鮮高級学校ラグビー部へ。「ラグビーが好きでしたし、人生で一回は花園の舞台を経験してみたいと、大阪朝高へ進みました」。
とはいえ、大阪府はラグビーの激戦区だ。周りを見渡せば全国各地から選び抜かれた選手たちが集い、部員の数も自分たちの倍に及ぶ強豪校ばかりだった。
「入部当初、1年生チームで強豪校たちと試合をしたら毎回ボロボロにやられていました。これでホンマにやっていけるんかと思うくらい差がありましたね。ただ、その差を3年間を通して徐々に埋めていったという実感があって。これまで圧倒的に負けていた相手に対し僅差で戦えるようになり、最終的には勝てるレベルまでに到達していました。この成長スピードが大阪朝高ラグビー部の強みだと思います」。
なぜ3年間という短い期間で、強豪校と太刀打ち出来るまでの水準に持ち上げることが出来るのだろうか。
「まずは大阪朝高ラグビー部には確固たる伝統があり、これまでに何度も花園に出場してきたノウハウと経験があります。そのノウハウと経験に基づく練習・メンタリティ・戦術が明確にあったので、選手たちはそこに向かって付いて行くだけです。また、先生や指導者の方々が自信を持って接してくれていたので、僕たちもチームを100%信じ抜くことが出来ました」。
「そしてもう一つは『コネクト力』です。僕はずっとウリハッキョ(朝鮮学校)に通っていましたが、ウリハッキョならではの繋がりがあったと思います。例えば大人数で構成された部活ならば、Cチームに属する下級生とAチームに属するエース級の選手が会話を交わす瞬間って限られてくると思うんですよ。たとえそうしたい気持ちがあったとしても物理的に難しいんです。でもウリハッキョならば、当時の大阪朝高ラグビー部は50人ほどだったので、先輩後輩や属するカテゴリーを問わずコミュニケーションを図ることが出来ましたし、たくさんの経験やアドバイスを与え与えられる環境が日常から溢れていました」。
実際に金選手は下級生の頃から自身のスキル向上のため、先輩たちに質問を投げかけ続けた。また、金選手の熱い姿勢に呼応するように、先輩たちもその問いに答え続けた。そして、そういったコネクトは金選手が先輩となった頃にも受け継がれていた。
「例えば、僕が朝練に出て一人で体幹トレーニングをしていたとき、後輩15人くらいが群がって『一緒にやらせてください』と言ってきて、そこから一緒にトレーニングすることが恒例となりました。僕自身もそういった後輩たちには自分の経験の全てを伝えようとしましたし、それくらい繋がりが強かったですね」。
内に秘めていたイメージを開花させた朝鮮大学校時代
金選手は高校2年生時に夢であった花園出場を果たし、秘めていた能力を遺憾なく発揮した。そして、高校を卒業する頃にはいくつかの強豪大学からオファーを受けたが、それら全てを断り朝鮮大学校に進学する。
「全国に存在するウリハッキョラグビー部の皆が朝鮮大学に集まれば間違いなく関東1部リーグで戦えると思うんです。僕はそのような文化を作りたかったので朝鮮大学校を迷うことなく選びました。現に朝鮮大学校に行って本当に良かったと思っていますし、僕は朝鮮大学校で大きく成長しました」。
朝鮮大学校ラグビー部が、金選手に何をもたらしたのだろうか。
「たしかに朝鮮大学校ラグビー部は少数部員だし環境もどちらかといえば整っていないのかもしれない。でも、だからこそ自分たちで考えてプレーするし、部の方向性なども自分たちで決めていく。また、呉衡基監督(オ・ヒョンギ/朝鮮大学校ラグビー部監督)も、コーチング論に基づいた指導法で選手たちの個性を引き出すようなマネジメントを一貫してやってくれていました。まずは自分たちでやってみろと。そういった意味では、高校時代に叩きこまれた『基礎』と『膨らませていたイメージ』を、大学時代に爆発させたという感覚ですね」。大阪朝高ラグビ―部の伝統のもと土台を築き、朝鮮大学校ラグビー部・呉衡基監督のもとで、内に溜め込んでいたポテンシャルを野に放ったのかもしれない。
「大阪朝高ラグビー部と朝鮮大学校ラグビー部の方針は真逆ですけど、どちらが正しいとかではなくて。その時そのタイミングに合ったやり方があると思っています。そういった意味でも僕は本当に恵まれていますし、その両方の要素を吸収することが出来て今があります。そのどちらかが欠けても駄目でした」。
クボタスピアーズは最高のチーム。その理由とは
金選手は朝鮮大学校ラグビー部を卒業後、ラグビートップリーグのクボタスピアーズに入団。しかし周りの同期入団者を見渡せば、輝かしい経歴の持ち主ばかりだった。
「僕は同期に対しても憧れを抱きます。シンプルに凄いなと。入団当初はやっていけるのか不安にもなりました」。
プロの世界に突入したのはいいものの、目の前に立ちはだかった現実はあまりにも厳しかった。自分よりも高い舞台で経験を積んできた選手たちが大多数であり、世界屈指の外国人選手たちも立ちはだかるリーグだ。しかし金選手は「やるしかない」と、これまでの学生時代同様に「練習の虫」となり、朝鮮学校で培った「コネクト力」を発揮した。チームメイトのプレーを観察しては技を盗み、自身が持つポテンシャルを日々向上させていったのだ。
「トップリーグには世界屈指の選手がたくさんいます。例えばクボタスピアーズにはオーストラリア代表で司令塔を務めるバーナード・フォーリーがいるので、教えてくださいとアドバイスを求めに行ったり、自分のトレーニングの映像を見せてフィードバックを貰ったり、チームメイトたちの力をお借りしながら日々自分の能力と向き合ってきました。クボタスピアーズは最高のチームです。自分みたいな下っ端の選手が聞きに行っても、一つ一つ丁寧に教えてくれます。クボタスピアーズに入団できて本当によかったです」。
朝鮮学校で培った「コネクト力」と、自身の手で育んできた「強烈な向上心」がトップリーグで通用した瞬間だった。
たしかに金選手が言うようにクボタスピアーズが素晴らしいチームなのは間違いない。だが、その一方で、「上手くなりたい」という金選手の強烈な向上心が、周囲の気持ちを突き動かした側面もあるのだろう。
「僕の身体能力や足の速さではとても勝てません。だから人よりも練習して、人よりも自分のプレーを振り返って、人よりも改善していく必要があるんです」。
果たして金選手をそうさせる「原動力」はどこにあるのだろうか。
夢は日本代表。スポーツマンである限り出来るところまでやる
「ウリハッキョに通う子供たちの人数は日に日に減ってきていて、僕自身もこの現状をすごく悲しく思っています。ただ、僕はこういう時にこそスポーツの力を信じたいんです。大阪朝高ラグビー部は花園でベスト4を記録しましたが、その努力の影響で、現在1,2生年合わせて17人のラグビー部に対し、17人の新入生が入部してくれたそうです。僕も大阪朝高ラグビー部のようにスポーツを通してウリハッキョや同胞社会に貢献したいですね」。
金選手は常に自身を育ててくれた「同胞社会のために何が出来るのか」を考えていた。しかし、金選手が想いを寄せる先は同胞社会だけではない。
「僕はもちろんラガーマンとしてトップを目指しますが、“ただのラガーマン”で終わりたくないと思っています。ラグビーを通して社会に貢献できる、記憶に残る人になりたいです」。
果たしてその真意はーー。
最後に金選手の夢を聞いてみた。
「僕の今の夢は『日本代表』になることです。もちろん現時点ではまだまだ準備が足りないということも自覚しています。でも、スポーツマンである限り、行けるところまで挑戦し続ける義務があると思いますし、絶対になってみせます。僕は底辺の所からここまでやってきました。やれば出来るということを証明したいです。まだまだ満足していません。これからも挑戦し続けたいと思います」。
金選手に限った話ではないが、在日コリアンが日本代表に選出されること。それは、スポーツの価値を証明する瞬間でもあるのではないだろうか。
かつての2019年ラグビーW杯では、韓国、ニュージーランド、南アフリカ、オーストラリア、トンガ、サモアの海外出身選手たちが日本代表として『ONE TEAM』を体現した。その姿を通して日本国民はもちろんのこと、国籍を問わない、様々な背景を持ったラグビーを愛する者たちが共に肩を組み、大声援を送った。
その光景こそがラグビー、そして、スポーツのあるべき姿だ。
「地に足をつけて頑張ります」。
金選手の挑戦はいま始まったばかりだ。
写真提供:クボタスピアーズ
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