横浜市サッカー協会 特別取材『第60回 横浜市長杯争奪 日・朝親善サッカー大会』〜リスペクトの精神を胸に〜


記念すべき『第60回 横浜市長杯争奪 日・朝親善サッカー横浜大会』
 「ボールひとつ」がきっかけとなり始まった『横浜市長杯争奪 日・朝親善サッカー横浜大会』が、10月23日/24日をもって「第60回目」を迎えようとしている。60年もの間、一度も途切れることなく開催され続けた古く歴史深い大会だ。 
 大会主催者である一般社団法人 横浜市サッカー協会は元来、未来を担う子供たちがより広い視野を持てるようにと多くの「国際交流事業」に注力しているが、それら事業の中で60年も続く大会は他にない。
 一度も途切れることなく開催され続けた要因はどこにあるのか。どのような想いが含まれているのか。変わりゆく時代のなか、継承するためには何が必要なのだろうか。本大会を通し望む未来の形とはーー。
  
 今回iudaでは横浜市サッカー協会にご協力頂き、内田氏(横浜サッカー協会 会長)、加藤氏(副会長)、鈴木氏(専務理事)、二木氏(事務局長)に、事前インタビューをさせて頂いた。
  
「ボールひとつ」が始まりだった。横浜サッカー協会が受け継ぐ想い
  
ーー本日はよろしくお願い致します。60年もの間一度も途切れる事無く脈々と受け継がれてきた本大会は、どのようなきっかけでスタートしたのでしょうか。

内田氏:「始まりは1962年。きっかけは朝鮮蹴球団から頂いたサッカーボールからでした。その恩を引き継ぎ、熱い試合を交わす過程で交友関係が育まれてきました」


加藤氏:「横浜市サッカー協会は多くの国際交流事業を行っていますが、国際交流として続いている事業は一つか二つのみ。そんななか日朝親善大会は今年で第60回目を迎え、一度も欠かすことなく継承されてきました。
また、横浜市サッカー協会として60回も続く事業は他にありません。日朝親善大会が最長の事業です。そういった意味でも我々の現在の責務とは、我々が携わる限りこの大会を終わらせてはいけないということです」

ーー横浜サッカー協会としても この大会が重要な位置づけをされているということですね。

二木氏:「そうです。私自身 横浜市サッカー協会に携わりまだ日が浅いので分からない部分が正直多いですが、多大な情熱とエネルギーを注ぎここまでに継承されてきた先代に対し尊敬の気持ちを抱いています。
私は選手としても大会に参加させて頂いたことがあります。当時を振り返ると、国際試合に出場しているという感覚を持っていて。相手チームは試合中に朝鮮語でコミュニケーションを図り、監督も朝鮮語でコーチングを行っている。それだけでも緊張感が漂いますし、何よりも非常にタイトで白熱した試合内容だったことを覚えています。選手たちの成長という観点からも価値のある大会なので、70回、80回、100回と引き継いでいきたいです」
「サッカーに対する情熱」が他の全てを凌駕する
 
ーー第60回目まで継承することの出来た要因はどこにあると思われますか。
 
内田氏:「最も大きな要因は、政治的思想を超越したスポーツマンシップがそこにあったからだと思います。運営はもちろん大変で細かな課題がたくさんあるけれど、それらを凌駕する強い想いやサッカーに対する情熱があった。『サッカーが好きだ』という大前提があり、その共通点が徐々に交友関係を構築してくれたのです」
 
加藤氏:「大会名を見るとお分かりになると思うのですが、本大会の正式名称は『横浜市長杯争奪 日朝親善サッカー大会』となっていて、この『市長杯』と名づけられたのは大会が始まり数年経った頃でした。当時 横浜市長になられた飛鳥田 一雄氏が大会に関心を持たれ、プログラムや大会関係の展示物に市長の言葉や写真などを掲載し それら取り組みの継続から『市長杯』というカップが誕生したと伺っています。つまり、行政やスポーツ協会などの第3者のご協力があって、今もこの大会が存続しているということです」
 
ーー第60回大会ではどのようなご支援ご協力がありましたでしょうか。
 
鈴木氏:「たくさんのご協力があるなか今大会も横浜市市民局やスポーツ協会の後援を頂いております。また記念すべき60回目ということで、大会当日には横浜市市民局の方からスポーツ振興課長がお見えになられセレモニーに参加されます。行政の方がこのような大会に直接足を運ばれることはあまり無いですが、伝統ある大会の節目ということで来て頂くことになりました。
そして、やはり我々は神奈川県朝鮮蹴球協会 会長である崔会長から大きな影響を受けています。とにかく大会に対する想いが強くその想いに引っ張られる形で物事が進んでいますし、このように日朝双方が同じ目標に向かって歩んでいけること自体が非常に意義深いことだと感じています」
 
 ボール一つで繋がった友情。サッカー一つで交わした約束。
 大会が産声を上げた1962年。そこには政治的思想や人種的見解を凌駕するサッカーへの愛着心があった。そしてそのアイデンティティは今もなお 継承されている。
 横浜市サッカー協会はいま、どのような大会像を思い描くのだろうか。
今の時代だからこそ…「人の心を大切にする気持ち」を育みたい
ーー今後の大会において挑戦したいことはありますか。
 
加藤氏:「今大会は小学生から社会人まで全てのカテゴリーが出場する素晴らしい大会になりました。更に欲を言えば女子カテゴリーの参加があれば、もっと良かったなと思います。将来的にチャレンジしていきたいです」
 
鈴木氏:「また、過去大会では朝鮮本国の選手団が横浜にやってきたこともありますが、崔会長とは いつか横浜のチームを連れて平壌に行きたいなという話をさせて頂いています。横浜を代表するチームが平壌へ向かい、朝鮮の選手団と試合を行う。いつ叶うかは分からないけれど、実現したら最高じゃないですか。この目標を実現させるため 今後も模索しながら大会を継続させていきたいですね」
 
ーー横浜市サッカー協会としては、本大会を通しどのような未来を望まれていますか。
 
内田氏:「今大会は大会運営の皆様の尽力のおかげで、小学校から社会人までの全カテゴリーが大会に参加することになりました。これは素晴らしいことです。
『人の心を大切にする』『命を大切にする』。こういった心意気がこれからの時代 更に大事になってきますが、将来を担う子供たちが清らな精神を育めるような大会にしたいです。
正直なところ、今は日本の学生と朝鮮の学生が交流出来る場はそう多くありません。経験した人にしか情報が与えられないなかで、この大会は共に汗を流しワクワクするような体験を行うことが出来ます。可能性が計り知れません。このような交流はサッカーにしか成し得ないんじゃないかとも思っています。
また、子供たちだけではなく、たとえば 我々役員のような人たちがピッチに出て1分でも一緒にボールを蹴れば楽しいんじゃないかなとも思っています。そこからまた新たな関係が生まれるじゃないですか。そういった肩肘を張らない自然体な大会を目指したいですね」
 
 ただのサッカー大会ではない。「リスペクト」「豊かな未来」「友好的関係の構築」「日朝親善」。さまざまな「想い」と「願い」が込められている。だからこそ、“ただのサッカー大会”に 終わらせてはいけないのだ。
 そして「未来を担う少年少女たちに豊かな視野を与える」。この共通理念のもと 日・朝は今後も奮闘し続ける。
 
 「日朝の協会が尽力している大会なので最初から最後まで友好関係を大事にし、『フェア』『紳士』『明るさ』を持ちながら、大会を終えましょう」。内田会長は大会の「成功」と「日朝の親善」を願いながら、そう締めくくった。
  
 『横浜市長杯争奪 日・朝親善サッカー横浜大会』は、10月23日/24日ともに 三ツ沢陸上競技場で行われる。