【諦めなければ必ず花咲く】~社会人リーグからJ1優勝へ~


 社会人リーグから這い上がり、憧れていたJ1の舞台へ。

 そんな絵に書いたようなサクセスストーリーを歩む同胞選手がJ1屈指の名門、横浜F・マリノスにいる。加入1年目で正GKの座を掴んでいる朴一圭選手(29、東京朝高、朝大卒)だ。チームは残り2試合となったリーグ戦で首位を走っている。「ぶれない覚悟を持って諦めずに続ければ、必ず最後に花が咲く」(朴選手)。不断の努力を重ねてきたサッカー人生に、輝かしい1ページが刻まれようとしている。

 

 心に掲げたスローガン 


 取材当日は7万人収容のホームスタジアム近くで練習が行われた。全体練習がおわっても最後までグラウンドに残り、技術の向上に取り組む朴選手。クラブハウスへ引き上げる際にこちらに気づくと、練習時の真剣な表情から一転、柔らかい笑顔で声をかけてくれた。「久しぶり!元気だった?」


 暑さが残る昨年11月の沖縄。2018年シーズンを終えたばかりの当時、朴選手はクラブ創立以来初のJ3優勝、J2昇格を果たしたFC琉球に所属していた。シーズン中は主将として毎試合のように高いパフォーマンスを見せ、強烈なリーダーシップでチームを牽引。栄冠を果たしたチームの中でも一際脚光を浴びていた。

 

 その経歴にも注目が集まっていた。J2から3つもカテゴリーが低い社会人リーグでのプレーを経験していたからだ。 

 朴選手は、朝大を卒業した12年にJFLの藤枝MYFC(当時)に加入したものの、翌年に関東社会人1部に所属するFC KOREAへの移籍を決意した。理由は「自分を磨き直すため」。 

 恩師とも言える東京朝高、朝大時代のGKコーチ、野口正彦さんに指導を仰ぎながら、死に物狂いでサッカーと向き合った。サッカーへの情熱は衰えることを知らず、J3の藤枝MYFC(14-15年)を経て、ついには3年間所属したFC琉球でJ2への扉を開いてみせた。 

 新たな舞台での挑戦を心から待ち望んでいた。そこに思いがけないオファーが届く。横浜F・マリノスからだった。昨季開幕前の練習試合で目に留まり、当時から評価してくれていたという。  

 「もちろん嬉しかった」。と同時に「試合に出られなくなるんじゃないか」との不安が押し寄せた。公式戦のピッチに立ってこそ経験を積める。J2のクラブから受けているオファーを考えると…。葛藤の中で背中を押したのは、移籍に関して相談していた元サッカー朝鮮代表、安英学さんのアドバイスだった。 

  「同胞たちは、J2よりもJ1で活躍するイルギュの姿を観たいんじゃないかな」 ふと、初心に戻った。なんのためにサッカーをしているのか。「同胞たちに夢と希望と感動を」-。心の中に掲げてきたFC KOREAのスローガンを実現するためじゃないのか。 

 こうして、あえて「険しい道」を選ぶ決心がついた。 

 

 後輩たちへの「道」を


 得意とするシュートストップや攻撃のビルドアップには「移籍前から自信があった」。実際にマリノスの練習に参加してみると「十分通用する」という手ごたえを感じた。だが、チームには不動の守護神、飯倉大樹選手(33、現・ヴィッセル神戸)がいた。  

 公式戦初出場は、リーグ戦の控えメンバーでのぞんだ3月初旬のカップ戦。つづくカップ戦でも出場機会を得たが、目立った活躍を見せられなかった。それでも「昨日よりも今日のパフォーマンスがよくなるように全力で練習に取り組んだ」(朴選手)。 

 貪欲でひたむきな姿勢は、指揮官の目にとまる。リーグ戦第5節のサガン鳥栖戦(3月29日)のスターティングメンバーに突如抜擢されたのだ。  

 スタメン起用に「無失点」という結果で応えてみせた朴選手は、次節以降も先発として起用される。このチャンスを逃すまいと、最大の持ち味とする「気持ちの強さ」を前面に出し、大舞台にも臆することなく積極的なプレーを見せ続けた。  

 鋭い飛び出しで決定機を防いだかと思えば、足元の技術をいかして攻撃の組み立てに加担。シーズン当初に囁かれていた「控え要員」との評価はいつしか聞かれなくなり、攻撃的サッカーを標榜するチームに欠かせない「正守護神」としての地位を築いていた。


 この間には6週間の負傷離脱を余儀なくされた。焦りと不安が先行した一方、ピッチを離れてみて気付くことがあったという。 

 「トップクラブでプレーできるありがたみ」、出場機会に恵まれずともチームを最優先に考える選手らのプロ意識を改めて実感した。何より「ポジションを譲りたくない」という思いが以前にも増して強くなったと話す。 

 「J1挑戦1年目で活躍した選手が翌年にポジションを失う、そんな『一発屋』には絶対になりたくない。自分の存在をファンに認めてもらいたいし、昨年までプレーしていたJ3の選手らにも希望を与えたい。それに…」と、朴選手は言葉をつないだ。 

 「安英学、梁勇基、李漢宰選手らのように、同胞サッカー選手たちを先頭で引っ張っていかないといけないという使命感を持っている。後輩たちが歩んでいく『道』を作るためにも、J1で活躍し続け、いずれはマリノスの歴史に名を残す選手になりたい」 

 振り返れば、あまり注目されないGKというポジションに憧れを持ったのは埼玉初中の頃だった。最近は、そんな母校にも足を運べていない。だからこそJ1で優勝した暁には「メダルを持って凱旋報告をしたい」と考えている。 

 「各地のウリハッキョも訪ねて、ハッセンたちと触れ合いたい。みんな喜ぶだろうな」。屈託なく笑う朴選手は、J1の優勝争いを繰り広げる今でも、自身の原点を忘れていなかった。