昨年、プロスポ―ツ界に新たな足跡を残した同胞選手たちがいる。横浜F・マリノスの正GKとしてJ1優勝を果たした朴一圭選手(30)と、大阪朝高時代に「高校6冠」の快挙を達成し、昨年のプロデビュー戦をTKO勝利で飾った李健太選手(24、帝拳ジム)。
飛躍の年を振り返り、今後への意気込みを語ってもらった。
【朴 一圭(30歳)】
埼玉初中-東京朝高-朝大・体育学部-藤枝MYFC(JFL、12年)-FC KOREA(関東1部、13年)-藤枝MYFC(J3、14-15年)-FC琉球(J3、16-18年)-横浜F・マリノス(J1、19年-)。18年にFC琉球の主将としてJ3優勝、J2昇格。19年に横浜FMでJ1優勝、J1優秀選手賞。
【李 健太(24歳)】
東大阪初級―東大阪中級-大阪朝高-日本大学-帝拳ジム。高級部時代に高校6冠、公式戦62連勝(日本記録)。朝鮮代表として「世界ボクシングユース選手権大会」(14年)「リオデジャネイロ五輪アジア予選」(16年)「アジア大会」(18年)に出場。 18年9月にB級プロテスト合格。19年2月のプロデビュー戦でTKO勝利。アマチュア112戦102勝10敗、プロ3戦2勝1分(1KO)
ーー昨年はどのような1年でしたか。
朴 下位カテゴリーでのキャリアが長かっただけに、J1屈指の強豪、横浜F・マリノスからオファーをもらった時は驚いた。入団当初は懐疑的な声が聞かれたけど、周囲を見返してやろうという強い気持ちを持っていた。昨日の自分より今日の自分がよくなるように、日々のトレーニングに全力で励んだ。その過程で監督の信頼を得られ、継続して起用してもらうことができた。
J1優勝はもちろん嬉しかった。でも怪我が多く、出場機会も運に左右された部分が大きかったので、満足のいくシーズンとは言えなかった。
李 自分も似たような心境を抱いている。高校6冠などの実績を持って鳴り物入りでプロ入りし、3戦無敗。数字だけを見れば、いいスタートを切ったように映るかもしれない。だけど試合内容には全然納得できていない。プロとアマチュアのボクシングの違いにうまく対応できず、評価は下がる一方…。一つ聞きたいのですが、これまでブランクに陥ったことはありますか?
朴 実は、藤枝MYFCに所属していた時に足首を負傷して、それ以来4、5年くらいキックがうまく蹴られない状態が続いた。ゴルフや野球の選手がよくかかる「イップス」(※1)という症状だね。周囲に打ち明けることもできず、精神的にすごくきつかった。
症状を克服しようと、とにかく必死に練習に取り組み続けた。チーム練習後に2時間以上ボールを蹴り込む日もあった。イップスが治ったのは一昨年。練習の成果もあってキックに自信がつき、パフォーマンスも飛躍的に上がった。
ーープロの舞台でプレッシャーを感じることはありますか。
朴 普段の試合では楽しみながらピッチに立てている。だけど、昨シーズン前半戦で経験したFC東京戦との首位決戦では、緊張のあまり足がガクガク震えた(笑)。結果は2-4で負けた。だけど、当時の経験があったから選手として一回り強くなれた。
プレッシャーのかかる状況に直面した時こそ、人間の真価が試されると思う。困難な場面を乗り越えていけば、自分をレベルアップさせられる。だからいつも、緊張感のある環境に自分を置いてみたい。
李 プロの試合ではあまり緊張しない。むしろ、大阪朝高時代に連勝記録を伸ばしている時の方が、プレッシャーが大きかった(笑)。勝ちを重ねるにつれて周囲の注目が集まり、日本記録更新がかかった高3最後の国体では多くの人に声をかけられた。
高校6冠、62連勝を達成できたのは、なによりも周囲の支えがあったから。両親はもちろん、大阪朝高の選手や監督、それにボクシング部のOBや各地の同胞たちが、さまざまな形で自分をサポートしてくれた。
大阪朝高ボクシング部のOBたちが高級生だった頃は、全国大会に出れず悔しい思いをしたと何度も聞いてきた。社会人を対象とした全日本アマチュア選手権で優勝する実力を持っていただけに、高校の全国大会でも必ず優勝できたはず。そんなことを考えると、OBたちの「がんばれ」という言葉に重みを感じずにはいられない。先輩たちの思いに応えるためにも、全力で試合をたたかってきた。
朴 こうして話を聞いていると、健太が成し遂げた快挙の凄みを改めて感じる。ウリハッキョのハッセンが、これほどの成績を収められたんだから。
自分の周囲には「サッカーで名を馳せたいから」と日本学校に行ってしまう友達もいた。だけど自分は、朝大まで通ったうえでプロの世界にチャレンジしたかった。今も朝大卒業生としてのプライドを持っている。
今後さらに活躍し、ウリハッキョの魅力や自分の存在をどんどん発信していきたい。そうすればウリハッキョに通う子どもたちが増えるはずだし、健太のように朝高の名前を轟かせられる人材がもっと輩出されるかもしれない。
ーーコロナ禍の中、J1リーグ(2月に第1節消化)は第2節から中断を余儀なくされ、4月に予定されていた李選手のプロ第4戦も中止となりました。
李 残念だけど、気持ちを切り替えて練習に励んでいる。ジムでの練習ができなくなって以降、3~5月中旬の間は地元の大阪で、ランニングや公園でのミット打ちなど自主トレーニングを積んできた。 強度を上げて走り込んだせいか膝が痛くなり、念入りに柔軟体操を行うようになった。以前より柔軟性がついたことで、ジム練習が再開して以降はパンチの重みが増し、身体もうまく使えるようになった。今度の試合では、以前と全く違った自分を見せられると思う。
フィジカル面だけでなく、精神的な部分にも変化があった。この間には、試合ができない自分に励ましの連絡をくれたり、生活が大変だろうとサポートしてくれる人もいた。「応援してくれる人がこんなに多いんや」と改めて感じ、初心に戻ることができた。
朴 ピッチ練習が難しくなった4月からはリモートで行われるチームトレーニングに取り組み、自主的にエアロバイクを漕ぐなどして体力を保ってきた。その他にも、昨シーズンのチームや自分のプレーを映像で見返しては、「歯車を戻す作業」をしてきた。
実を言うと、開幕前に行われたAFCチャンピオンズリーグ(略称ACL)の試合に出場できなかったことで、チームの波に乗れていない自分がいる。ACL登録メンバーから外れた理由は外国人枠の問題(※2)。アジアの強豪クラブが集うACLは以前から楽しみにしていただけに、大会に出場できないと聞いた時は悔しかった。でもすぐに、「リーグ戦で結果を残してやろう」と気持ちを切り替えた。
スタメン出場したJ1開幕戦(対ガンバ大阪、2月23日)は1-2で負けてしまった。J1は7月4日から再開する予定だ。早くピッチに立って、悔しさを払拭したい。
ーー今後の目標を教えてください。
李 プロボクシングの世界では技術だけでは戦っていけない。いろいろな人たちから学び、ボクサーとしての幅を広げていくことが重要になってくる。目指しているのは、リング上で相手に触れられず、相手を一発で倒せるスタイル。得意の左ストレートに磨きをかけたい。
内心、タイトルに飢えている。可能なら一気にランキングを駆け上がり、トップレベルの選手たちと勝負したい。目標は20代での世界タイトル獲得。これまで応援してくれたたくさんの人たちに、チャンピオンベルトを巻く姿を見せたい。
朴 安英学、梁勇基、李漢宰選手のように、国を背負う選手になることを心に描いてきた。サッカー選手なら誰もが憧れるように、W杯への出場が目標だ。世界の舞台で、これまでにない緊張感を味わってみたい。
Jリーグでは年間MVPのような個人賞を狙っている。あまり注目の集まらないポジションだけに難しいかもしれないけど、GKは息が長い。J1のチームに入団して、やっとプロサッカー選手のスタートラインに立てたと思っている。今年で「2年生」。困難な時も腐らず努力を重ねれば、まだまだ成長できると信じている。
※1 イップス:精神的な原因などにより思い通りの動作ができなくなる症状で、スポーツ選手に多く見られる。明確な原因、治療法は見つかっていない。
※2 ACLの外国人枠 1試合5人の外国籍選手を登録できるJ1と違い、ACLの登録枠は外国籍選手3人+アジア選手1人。横浜F・マリノスがタイ代表選手をアジア枠に登録したことで、朴選手はメンバー外に。
-朝鮮新報より-
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