【ヴィッセル神戸発“世界”行き。アメリカで奮闘する在日コリアンフットボーラー 宋勝鳳の挑戦】


 「自ら厳しい環境に行かないといけないと思った」
 そう話すのは、アメリカ大学サッカーリーグの一つ、NJCAA「Parkland college」でプレーする在日コリアンフットボーラー 宋 勝鳳(ソンスンボン 20歳)だ。ヴィッセル神戸U-15、ヴィッセル神戸U-18で確固たる実績を残した宋は何故、アメリカでプレーすることを選んだのか話を聞いた。
怖いもの知らずでトントン拍子のジュニアユース時代

 2013年にヴィッセル神戸U-15に入団した屈強なフィジカルを武器としたCBは、右肩上がりで成長を遂げていた。
チームに入団してすぐにAチームに食い込み、Jリーグの下部組織でプレーする全国のエリート集団から選ばれる「Jリーグ選抜」に選出される。Jリーグ選抜でのタイ遠征を終えた後、「中日本トレセン」にも選出され、合宿での宋のパフォーマンスに目を付けた日本サッカー協会関係者からは、韓国国籍を持つ宋に対し「日本代表」入りの打診もあったという。
 しかし宋は、「正直、日本代表でプレーしてみたいという気持ちもありましたけど、当時13歳であった自分に国籍を変えるという判断は出来なかったですし、自分もウリハッキョ(日本にある朝鮮学校)に通っていたので、在日コリアンとしてのアイデンティティがあり、日本代表ではプレーしないと決断しました」と当時の心境を話す。

 その後も宋の成長は止まらず、中学3年時に行われた「クラブユース関西大会U-15」ではMIPにも表彰された。「中学の時は怖いもの知らずで、天狗でした。よくコーチにも自分の意見を主張し、ぶつかったことも多々ありました。それくらい自信もあったし、その自信に伴うようなプレーが出来ていたと思います」
 小学4年生まで野球をしていた宋であったが、「どうしてもサッカーがしたい!」という強い意志を持ち、サッカーの厳しさを知る父の反対を押し切り、ヴィッセル神戸のサッカースクールに入団。宋の努力と元々兼ね備えていたポテンシャルを遺憾なく発揮した。その実力を認められ、右も左も分からないままにジュニアユースに入団し、各種選抜にも選出されている。まさに“トントン拍子”というところだ。 
 しかし、そんな宋にも“挫折”がやってくる。

「何かを変えないといけないと思った」挫折を通して得た“気付き"と”感謝"

 ヴィッセル神戸U-15を卒団後は、ヴィッセル神戸U-18に昇格。高校1年時には兵庫県国体メンバーとして「希望郷いわて国体」にも参加し、周りからは何もかもが順風満帆に見えた。
 しかし、U-18に昇格してからは、1年時からAチームのメンバーには選ばれるも、なかなか試合には起用してもらえず、気が付けば2年生になっていた。
 「これまでの行いが今の結果を招いているのだと、当時は反省の連続でした。でも、その時間が自分にとっては有意義な時間でしたし、様々な『気付き』を与えてくれた良いきっかけでもありました。今考えれば、あの挫折があって良かったと心底思えます。なんせ、それまでの自分は何も考えずにサッカーをやっていたので」
 サッカーをやっていれば誰にでも“挫折”というものはやって来るが、その挫折をどう捉え、どう向き合っていくのかは様々であり、その向き合い方こそが、人生の導き方なのかもしれない。
 「それまでの自分は自信に溢れていた分、チームメイトに対して厳しく接していて、それが良い方向に影響することもあったんですが、ネガティブな方向に行くこともありました。自信と過信は紙一重です。そういった部分も自戒しましたし、オフザピッチの部分でも、よりサッカー中心の生活を送って、奪われたポジションを取り返す為に、変わることを決心しました」
 そうして持ち前の闘争心を取り戻した宋は、チームの中心選手として試合に出場し始めてからは、Jユースカップではチームの「全国3位」に大きく貢献。挫折から学び、自分の立つべきポジションを奪還してみせた。
 

 「自分はスクール時代を含めて8年間ヴィッセル神戸にお世話になりました。時には挫折をし、自信を失いかけた時もありましたが、変わらず自分を信頼し続けてくれたコーチ達には感謝の気持ちしかありません」
 ヴィッセル神戸で悔し涙と嬉し涙を流し、ヴィッセル神戸で青春を過ごした。だからこそ、ヴィッセル神戸に対する愛着も強い。
 そんな宋にもヴィッセル神戸を離れるときが来たーー。
「自分の人生を考えた時に環境を変えるべきだと思った」アメリカへの進学

 「プロに昇格する」か「日本国内の大学でプレーする」か。Jリーグの下部組織を経た高校生に迫られる選択肢は大きくはこのどちらかだ。しかし、宋はそのどちらでもない「アメリカでプレーする」という予想外の道を進むことを選択した。
 宋は、当時の自分の状況と今後キャリアを冷静に考えた上での決断だったという。
 「自分の人生を考えた時に、このまま国内でプレーし続けるのではなく、海外の生活や文化に触れることによって、人間的に成長する必要があるんじゃないかと思ったんです。アメリカの大学には『サッカーが上手ければそれで良い』という考えは一切存在せず、“両立”が当たり前ですし、人間的に成長できる文化があります。サッカーの面でも僕はフィジカルの部分で当たり負けしない所がストロングポイントなので、そこを更に磨く為にもアメリカに行って、Parkland collegeでプレーすることを決めました」
 
 「不安も多少あったが、アメリカへ出発する飛行機に乗った瞬間から『やるしかない』という気持ちと、『ワクワク』した感情が高ぶった」と話す宋は、アボジ(父)の存在がアメリカ行きを決心させてくれたという。
 「アボジもサッカーをやっていたんですが、自分のサッカー人生を誰よりも真剣に考えていてくれています。海外での挑戦にも賛成してくれていましたし、昔から『やるからにはプロを目指せ』と力強いアドバイスをもらっていました。今も自分が悩んだ時や、分岐点に立った時には必ずアボジに相談しています」   
 家族の心強いサポートのもとアメリカへ飛んだ宋は、着実に力を付け始めている。米国の大学は9月に入学するシステムのため、4月から入学の9月まの5ヶ月間を利用し、セブ島での語学留学プログラムに参加する。そこで英語の基礎を学び、コミュニケーションを円滑に図るための準備を整えた。「ホームシックにかかることはほとんど無い」と話す宋は、海外での生活に馴染むだけでなく、ピッチの上でもその実力を示している。
   
 宋のプレースタイルは、ピッチ上で存在感を示すファイター的CBタイプであった。その様子は“メンタルの強者”が揃う海外チームでも健在のようだ。
 「僕が所属するチームはフランス、メキシコ、イングランド、ブラジルと、多国籍な選手たちによって構成されています。だから、皆がそれぞれ自国に対するプライドを持って日々生活していますし、『なめられたらあかん』という気持ちでピッチに立っています。その分、皆のエゴも強いですが、僕自身も『ヴィッセル神戸』や『コリアン』の代表として、誇りを持って負けじとプレー出来ています」
   
 その言葉通り、昨年2019シーズンは「東地区ベストイレブン」にも選出され、チームメイトやコーチ陣からの信頼は厚く、中心選手として活躍している。更にはその活躍が認められ、編入や移籍が頻繁に行われるアメリカの大学サッカーにおいて、複数の大学サッカーチームや、プロクラブが宋に注目し始めている。
 実際にベルギーリーグ2部に所属するクラブの練習に参加する機会にも恵まれたそうだが、「まだまだ成長しないといけない」と、宋が見つめる視線の先はまだまだ遠くにあった。
 プロになる為には様々な道筋がある。絶対に日本でプレーしなくてはいけないという制約は存在しない。その一方でJリーグへの憧れもある。宋は今後、どのようにして自身の存在を世にアピールするのだろうか。
「今はまさに分岐点。また新たな挑戦が求められている」

 世界中に蔓延しているコロナウイルスの影響もあり、秋学期のシーズンが中断され、現在は日本で調整中だが、新たな決意のもとアメリカに戻る。
 「プロになる為、最後の選択が僕には迫られています。その選択に多少の迷いはありますが、『プロになる』という明確な目標はブレません。再びアメリカに戻った時には、新たなチャレンジが出来るように今からしっかりと準備していきたいと思います」

 世界中からアメリカンドリームを叶えるべく、あらゆる才能が海を渡る。日本から確固たる決意で単身アメリカに乗り込み、時には思い通りにいかないこともあるだろうが、アボジから伝えられた「やるからにはプロを目指せ」の言葉を胸に刻み、チャレンジを辞めることはないだろう。
 アメリカの地で奮闘する在日コリアンフットボーラーの存在はまだまだ世に知られていないかもしれない。
 しかし、闘争心溢れる宋のプレーを大舞台で目にする日は、そう遠くないのかもしれない。