【「まだまだ出来る」“継続前進”するディフェンスリーダーに迫る】金 聖基選手


 190cm83kgと類まれ無い体格を持ったCB金聖基 選手(32歳)は、朝鮮大学校在学時に初めて「朝鮮民主主義人民共和国代表」に選出され、金選手はそこで多大な衝動を受ける。これまでは「朝鮮代表に選出される」ことは、「在日同胞の代表として闘う」という漠然とした受け止め方をしていたが、収容可能人数5万人が埋め尽くされた金日成競技場(平壌)のピッチに立った時には「在日同胞としての期待を遥かに超えるプレッシャーがあった」と、金選手の想像とは比べ物にならないくらいの感動がそこにはあったと話す。そして、「ここに選ばれ続ける為にはプロになるしかない」と思い定め、金選手のサッカー人生に拍車がかかるーー。


切磋琢磨できるチームメイトに恵まれた朝鮮大学校時代

 

 金選手の兄である金永基さんは桃山学院サッカー部を卒業後、当時J2だった湘南ベルマーレにGKとして入団し、一足先にプロの世界へと足を踏み入れていた。その兄を筆頭に世界を舞台に活躍する在日の先輩たちは多く、その背中を眺めては「自分にも可能性がある」と夢を膨らませた。そして金選手は、自身の能力を高める場として神戸朝鮮高級学校から朝鮮大学校サッカー部への入部を選択する。

 当時の朝鮮大学校サッカー部には「特設班」という制度があった。特設班とは、大学サッカー部が指定した「強化指定選手」が所属し、主には環境面の待遇をもって大学4年間の生活をサッカーに専念出来るように作られた特別制度だ。現在アルビレックス新潟でプレーする鄭大世選手も「特設班」の卒業生である。
 金選手はこの特設班の強化指定選手として入部するのだが、「環境面はもちろんのこと、それよりも周りのチームメイトに恵まれた」と、当時の朝鮮大学校サッカー部には「プロになる」という目標のもと奮励するチームメイトばかりで、“やるしかない”環境がそこにあったと話す。
 在日コリアンの先輩達が世界を舞台に活躍し始めた最中だったこともあり、皆が目の色を変えていたのだ。そこにはやって当たり前の文化があり、当然、そのやる気に比例してサッカー水準もハイクオリティだった。金選手自身もその恵まれた環境のなか、サッカー中心の生活に努めた。
 「1年生の頃は先輩達のレベルが高くてなかなか試合に絡めなかったが、レベルと意識が高いチームメイトに囲まれながらトレーニングする過程で、自分自身のレベルも向上したし、2年生になった頃には試合に出させてもらうようになった。後から振り返ってみても、大学時代はやるだけの事は精一杯やったという自信がある」と話すように、まさに互いを突き動かし合いながら、脈々と実力を付けていった。


セレッソ大阪での経験があったから
 
 金選手は、大学4年時には関東2部リーグ ベストイレブンに選出され、2011年にJ1セレッソ大阪に入団。大学2年時から各Jクラブの練習に参加していた金選手は「当時、プロで通用する部分もあったけど、このままではスタートダッシュに遅れてしまうと感じ、日頃のトレーニングに力が入った」と、目指す先は常にプロであり、その高い志のもと目指した夢は叶うことになった。
 しかし、そう思い通りに事は進まない。2011−2013.7までセレッソ大阪に在籍し、出場試合数はわずか3試合。その事実は少なからず金選手の中で最も大きな挫折だっただろうし、苦しい時に心がけるべき教訓を聞き出すべく、「この苦しかった期間に何を想い日々の生活に臨んでいたのか」と聞いてみたが、こちら側が“用意していた回答”とは裏腹な回答が返ってきた。
   
 「たしかにプロは試合に出てなんぼの職業だけど、当時のセレッソ大阪はアジアチャンピオンズリーグ(ACL)にも出場していたし、錚々たるメンバーが所属していた。その中で毎日トレーニング出来た経験は今に活かされているし、あの期間があったからこそ、その後J2でもやれたんだと思っています。
 周りと比べて焦ってしまうという現象はよくある事だけど、当時の僕は良い意味で結果に執着し過ぎることなく、自分が成すべき事だけにフォーカス出来ていたし、セレッソ大阪での日々は長いサッカーキャリアの中で最も成長できた期間だったので、充実していた記憶がありますね」
   
 その言葉通り金選手は2013.7にヴィッセル神戸に期限付き移籍し、僅か半年間の在籍であったが、着実に実績を積み上げていく。2014年には水戸ホーリーホックに完全移籍。2年間チームに在籍し、通算50試合に出場。2年目には副キャプテンも任されるようになった。
 「毎週末の試合に向けて日々の生活を送れるということはプロサッカー選手として幸せだったし、プロ1,2年目の結果が出せていない時に、腐らず貪欲に自身の成長に目を向けられたからこそ今があるという確信がありました」と、挫折を"ただの挫折"で終わらせない根気と、苦悩は決して無駄にならないという信念を証明した。


 そして金選手は2016年、新たな環境を追い求め、町田ゼルビアに移籍。町田ゼルビアには当時のチームキャプテンである李漢宰選手がプレーしていたこともあり、「在日の大先輩であるハンジェヒョンニン(ハンジェさん)と同じピッチに立ち、自分の成長の為にも学んでみたい」という気持ちが町田ゼルビアへの移籍を決断させた。金選手がプロを目指すきっかけにもなった憧れの選手と共に過ごした時間は他の何にも代えがたいものがあったのだろう。
 「ハンジェヒョンニンは常にチームの事を考えて、チームの為に全力を尽くす選手。見習う部分が本当に多かったです。プライベートでもたくさんお世話になりました」と、ピッチ上ではサッカー選手として、プライベートでは一人の人間として、価値在る経験を積んだ。
 金選手は町田ゼルビアで2シーズンを過ごし、34試合に出場している。
   
苦しい時こそ他責をしない
   
 
 金選手は今年2020年シーズンからJFL(日本フットボールリーグ)に所属する奈良クラブでプレーしている。金選手はここまでのリーグ戦・カップ戦にフル出場し、「まだまだ出来るぞ」と言わんばかりに190cm83kgの壁が、最終ラインで存在感を発揮している。
 サッカー界では30歳を超えると契約が難しくなるという言い伝えがあるが、その文脈も一切見受けられない。むしろ、まだまだ未知の可能性が開けそうな雰囲気すらある。

    

 しかし、ここまでの行程も決して万事順調だった訳ではない。
 2018年シーズンに藤枝MYFCに移籍した際には、実績充分なベテランながら僅か8試合の出場に留まり、翌年2019シーズンには、自身初の地域リーグでのプレーを余儀なくされた。それに対し金選手は「実際に周りからするとJから地域リーグに“落ちた”という捉え方をするだろうし、間違っていない。その時期はなかなか切り替えられない自分がいたり、色んな事を考えた。ただ、周りの責任にすることは簡単で、他責したところで自分にとってのプラスは生まれないから、僕はサッカー選手として自分が出来る事に集中してきたし、何よりも自身の成長にフォーカスするようにしています」と、上手く行かない時こそ、他責をするのではなくて、自身の内部を見つめ直す大切さを説いてくれた。

   

後輩達に受け継ぎたいもの 

 

 在日コリアンフットボーラーには、大きく3つの道があると言える。一つは朝鮮代表に。一つは韓国代表に。そして、もう一つが日本代表への道だ。金選手は大学4年生だった2010年に初めて「朝鮮代表」に選出され、その後も「2014年FIFAワールドカップ3次予選」や、2017年に行われた「EAFF E-1サッカー選手権」と、コンスタントに選出され続けている。

 そのなかでも金選手は、朝鮮代表の重みや、朝鮮代表という“場”を通して獲得することの出来る「アイデンティティ」を次は後輩に受け継いでいきたいと話す。

    

 「2010年に初めて代表に選出された時、まったく実績の無い僕に対しても、ヨンハッヒョンニン(安英学氏)やヨンギヒョンニン(現サガン鳥栖 梁勇基選手)、テセヒョンニン(現アルビレックス新潟 鄭大世選手)といった尊敬する先輩方が自分みたいな若手に、本当にいろんなことを教えてくれました。サッカー選手としての心構えや、代表選手としての自覚など、教わることが多かったし、その時に先輩方から伝授されたその“情熱”が今の僕を形成していると言っても過言ではない。本当に感謝している。だからこそ、自分がそう教わったように、後輩たちに受け継いでいきたいです」。

   

 金選手自身も2020シーズンのパフォーマンスを通して「体は動くし、まだまだやれる。出来るところまでトライしたい」と、充実感を感じており、自身の姿を通して、自身が尊敬出来る先輩から受け継いだ“情熱”を継承していきたいと考える。   
 「J1から地域リーグまで経験してる在日選手は僕だけだと思います。そういった意味でも、可能性はいくらだってあることを証明したいし、“プロ”として色んな道があることを提示していきたい」
 「プロ」に対する定義は様々だが、金選手が持つ「プロ」の定義とは、「自分が専門とする分野に対して真摯であること」ではないだろうか。闘う舞台がJ1であれ、JFLであれ、地域リーグであれ、どう在るのかが重要なのだ。
 「今は全国各地で活躍している在日コリアンはたくさんいるし、自分が本気でプロサッカー選手としてやっていきたいのであれば、本気でアクションして欲しいなと思います。その行動自体が成功に繋がるかは保証できないけど、僕は色んな先輩の話を聞いて吸収してきたし、その行動は必ず成長に繋げることが出来ますので。僕もまだまだ頑張りますよ」


 “終わり”があるからこそ美しく感じることが世の中にはある。金選手のサッカーキャリアの“終わり”を言及するのが早すぎることは重々承知だが、おそらく金選手は終わる最後の一秒まで、先輩達が継承してきた“情熱”を捨てることは無いだろう。
    
 金選手はまだ’、“プロ”で在り続ける。