アスレティックビルバオの“バスク純血主義”から見る「在日コリアンサッカーの未来」


“バスク純血主義”を貫き続けるスペインの古豪、アスレティックビルバオ

 

 あなたはスペインの北東部に位置する“バスク地方”をご存知だろうか。古くからスペイン北東部とフランス南西部にまたがるピレネー山脈に住んできたバスク民族。スペイン人とはまったく異なるDNAを持ち、独自の言語をも保有している。その言語がどのように生まれ、どのように守られて来たのかという歴史を今も正確に把握出来ていなく、他のヨーロッパとは異なる遺伝子を持った謎に包まれた民族と言われている。

 

 そして、そのバスク自治州のビルバオを本拠地としているサッカークラブこそ、アステティックビルバオだ。1929年に創設されたスペイン、リーガエスパニョーラの長い歴史の中で、バルセロナとレアル・マドリーに並び、2部降格を経験したことのない古豪でもある。そんなアスレティックビルバオはリーグ優勝8回、国王杯優勝24回を誇っている。
 
 更にこのアスレティックビルバオは『バスク純血主義』という孤高のポリシーを100年以上貫いている。1912年に最後の外国人が去って以降、チームに所属する選手を『バスク人のみ』とした。このクラブポリシーにおけるバスク人とは、親がバスク人であったり、バスク地方で育った選手の事を指す。

 

 バスク純血主義を貫き闘うアスレティックビルバオはまさにリーガエスパニョーラの雄だ。


 “バスク純血主義”という制限のなかで、何故ここまでの強さを発揮出来るのだろうか。そこには2つの秘訣があった。
 

 一つは『足りないこと』を武器にしているということ。

 彼らは制限そのものを武器にしているのだ。外国人助っ人を獲得することもなければ、バスクにゆかりの無いスペイン人選手すらも獲得することが出来ない。しかし、そんな課題を背負った彼らだからこそ、自分たちに対する誇りを高く持ち、闘うことが出来る。バスク人の振る舞いとして、『仲間を思い、己の力を使い尽くせるか』という行動模範がある。足りないからこそ助け合うのだ。

 
 そしてもう一つの理由は、その育成組織にある。チーム強化において、かなりの制限を課しているアスレティックビルバオは、育成分野に多くの投資を行う。
 
 『レサマ』というクラブ施設を構え、そのコンパクトなプラットフォームで下部組織からトップチームまでの全ての選手を管理する。シンプルなテーマを徹底的に強化させ、戦力が限られているからこその闘い方を浸透させるのだ。

 

 そのようにして、たくましく育った育成選手がトップチームに昇格した日には、アスレティックビルバオのサポーターが歓迎しない訳が無い。地元の地域住民が一体となって、手塩をかけて育てた選手だ。もちろん、手塩かけて育てた選手が、いい選手であればいい選手であるほど、他のビッククラブに引き抜かれてしまう可能性が高くなるが、そうして得た資金のほとんどを、また育成組織に投資し、更に拡大させるというシステムが出来上がっている。
 
 短所と長所が共存しているチームとも言えるし、あえてこのような制限をかけているのか、偶発的にそうせざるを得なかったのかは不確かであるが、組織や個人においての突出点を作る為に、あえて課題を作り出し、その一つの共通項をもとに団結するというロジックは、参考になるのではないだろうか。

在日コリアンにとってのサッカー

 

 在日コリアンにとってサッカーとは単なるスポーツゲームではない。在日コリアンにとってサッカーとはある種の“国技”みたいなものだ。
 
 1961年、在日コリアンだけで構成された在日朝鮮人蹴球団(通称チュックダン)が結成された。チュックダンは日本の公式戦に出場する権利こそ与えられていなかったが、日本の実業団と練習試合を兼ねた日朝親善試合をよく行ったそうだ。
 
 チュックダンは負け知らずで、日本のサッカー関係者に『裏の日本一』と評されていた。これは単なる逸話ではなく、当時を知る日本のサッカー関係者から確かにその言葉を聞いたことがある。「あの頃のチュックダンには敵わなかった」と。

 

 チュックダンはその後、解散となってしまったが、全国各地に存在する朝鮮学校ではサッカーがメインカルチャーとなっている。朝鮮学校に通う男子生徒にとってサッカーとは、誰もが通る道だ。


所属人数わずか70人の朝鮮大学校サッカー部がプロを輩出し続けるその訳

 チュックダンは在日コリアンのサッカー少年にとってのスター的存在だった。そして、そのチュックダンで活躍する事を夢見た。


 当時の朝鮮高校は日本の公式戦に出場する権利が無かったものの、1993年にJリーグが誕生して以降、94年にはインターハイに、96年には冬の高校選手権に、朝鮮高校が出場できるようになった。サッカーに対する熱狂が凄まじかった。


 朝鮮高校はメキメキと実力をつけ、インターハイや冬の高校選手権に出場するようになった。高校世代で活躍した選手たちは日本の名門大学にスカウトされ、名だたる名門大学サッカー部に入部していった。そして、在日コリアンには『朝鮮大学校』というもう一つの選択肢があった。
 
 現在Jリーグで活躍している鄭大世選手は朝鮮大学校サッカー部OBで、朝鮮大学校サッカー部を東京都3部リーグから関東リーグに昇格させた立役者の一人でもある。鄭大世選手以外にも数多くの在日コリアンが、朝鮮大学校サッカー部からJリーグの世界へと飛び立っている。
 
 朝鮮大学校の学生数は約600人程度で、その中でもサッカー部が70人ほど。この“足らない”人材の中から約2年に1度のペースでプロを輩出し続けている。名門高校出身の選手もいなければ、所属人数も日本の強豪大学と比較して圧倒的に少ないのにも関わらずだ…
 
 日本と朝鮮半島の狭間で生きている在日コリアンは、学生数の少数化という課題を抱えながらも、今もなお国技であるサッカーに懸けている。少ないながらも、限られながらも、プロを輩出している。何故、限られた人材、環境のなかで、プロを輩出し続けることが出来ているのだろうか。


バスク純血主義とコリアン純血主義の共通点

 

 いわば在日コリアンのサッカーシステムは、アスレティックビルバオの『バスク純血主義』ならぬ、『コリアン純血主義』とも言えるだろう。

 

 育成カテゴリーから大学カテゴリーまで、オール在日コリアンで闘っており、外国人をチームに迎え入れる事も出来なければ、日本人すらもチームに迎える事ができない。在日コリアンだけのチームなのだ。そんな在日コリアンには在日コリアンならではの闘い方があるはずだと腹を決めているに違いない。

 

 アスレティックビルバオにしても、在日コリアンのサッカーにしても、足らないという事実を受け入れ、自分たちにしか出来ない闘い方を選択している。あえて勝てない土俵に立たず、自分達が勝てるであろう土俵を選んでいる。
 

 人間は時に自由そのものから不自由を感じてしまう。今まで課されていた様々な制限をいざ解かれてしまうと、何をすればいいのか分からなくなってしまうのだ。そういう意味では両者ともに、この『足らないという事実』を上手く味方に付けることが出来ていると言える。

 
 これまでにJリーグで活躍を見せた在日コリアンJリーガーのほとんどが『強くて、速い』選手だった。テクニカルな選手を輩出し続ける日本サッカーの中で、同じ闘い方をすれば到底敵わなかったのだろうし、今もそのテクニカル分野においては日本サッカーに勝てる見込みは少ない。しかし、マイノリティーとしてのアイデンティティを活かした強靭なメンタルと、幼き頃から鍛錬してきたそのフィジカルこそが在日コリアンサッカーの武器なのだ。
 
 これからも在日コリアンの中から、Jリーグもしくは世界で活躍するようなフットボーラーが生まれてくるかは分からない。学生数の減少は止まらなく、解決しきれない課題がたくさん存在している。しかし、そういう状況だからこそ、原点に戻ってみるのも一つではないだろうか。
 

 そして今日紹介したアスレティックビルバオが掲げる『バスク純血主義』という生き様から、何かのエッセンスを取り入れ、サッカーの強化発展に少しでも寄与出来れば嬉しい限りである。